JOMOのおにいさん

 ずっと昔、子どものころ、岡山のおばあちゃんの家のそばにJOMOのスタンドがあって、大阪への帰りがけにはそこでガソリンを入れることが多かった。あるとき、そこのアルバイトのおにいさんがすごく元気がよくて、ずっととびきりの笑顔で応対してくれた。そして帰りがけは「ありがとうございましたーーーーっ!!」という声とともに深々と礼をして、僕たちが車で走り去りながら後ろを見ると、いつまでもその姿勢でこちらに礼をしていた。時間にしたら長くても10分というところではないだろうか。その後も3、4年間くらいは、その近辺を通るたび、家族の中では「JOMOのおにいさん」の話になった。あのお兄さんはいるかな?いたら嬉しいねえなどと話しながら、それ以来一度も、そのお兄さんの姿を見ることはなかった。


 僕がいまアルバイトをしている場所には、いろんなお客さまがやってくる。そして、家族連れも多い。ゴールデンウィークなどは、お子さまづれも多かった。そんな中、僕はけっして子どもの対応などがうまいわけではないけども、子どものお客さまなどがすごく喜んでくれて、僕がテーブルのそばを通るたびに手を振ってくれたり、レストランを出るまでずっと飛びはねながらバイバイしてくれたり、といったこともあった。僕は、そんな家族連れと話をするときには、お子さまに向かって「将来はここで働く人になってね(言い方は違うけど)」というようなことを言う。時には、シールをあげたその裏に「いつか必ずまた来て働く人になってね」と書いたりもする。


 この子どもたちにとって僕はいったいどう見えるのだろうと考えるとき、僕にはいつもあのJOMOのおにいさんの、ずっとこちらに向かって深々と礼をしたまま小さくなっていくあの姿が思い出されるのだ。この子どもたちも、僕がJOMOのおにいさんを覚えているように、いつまでも僕のことを覚えているのだろうか、この先も折にふれて話をするのだろうか、そして、またあのおにいさんに会えたらいいねなどと家族で話をするのだろうか。そう考えるとき、僕はなんだか、とてつもなく大きな責任を負ってるようなそんな気がしてくる。ひょっとしたら、僕が「働く人になってね」と語りかけた子どもたちの中で何人かは、本当にいつか将来この場所にもどって来るかもしれない。そして、きっと僕のことを思い出すのだろう。


 夢を与えるということは、大きな責任を負うことだ。僕はいまの子どもたちが大人になったそのとき、どこで何をしているのだろう。そのとき、僕はどんな大人として生きているのだろう。せめて子どもたちが失望しないような、そんな大人でいたい。そして、できるならちょっとだけカッコいいオッサンになって、いつかまたその子どもたちと会いたいと思うのだ。