なんとなくボヘミアン

 巷でいうところの黄金週間なる期間はアルバイトに費やしていたがゆえに水曜の「経済学説史」の授業の準備がまったく進んでいないという状況に焦りが芽生え, 火曜日は急遽シフトを交代してもらって一日中英語教科書とPCに向かい合っていたのだが, その甲斐あって, きょう朝7:50には無事資料が完成した。言っておくが仮眠はとったので安心されたい。シフト交換してくれたNさん, どうもありがとう。

 朝の早稲田界隈はとても良い天気で, 天気良すぎて暑くね?なんて気分にもならないくらい良い天気であった。まあ授業ではラテン語の読み方や登場してくる人物の背景についてまったく調べてないことに先生がキレ気味だったことでアリかナシかで言えばない感じだったのだが, そんなことにもめげず, その授業は俺ともうひとり中国からの留学生の女の子との二人なので, 一緒にごはんを食べに行った。よく考えたらこの子と喋るのは今回が初めてであり, ラーメンをすすりながらいろんな話をしたのだが, 話のあちこちですごく面白いことを言うので, かなり爆笑させてもらった。

 ふと彼女が, 「日本では中国の悪いニュースばかりやっていますね…」と漏らしたので確かにそうだと俺も同意した。日本人が中国のことを悪く言うのと同じほどには, 中国の人は日本のことを悪く思ってはいないことは俺はよく知っている。まあ日本のマスコミなんて戦時中のプロパガンダといまだに似たようなことをやってるってことだ。だから正直, テレビなんて人生の貴重な時間を割いてまで見るには値しない。しかし, そんな俺の思いはパラレルに脇に追いやったまま, 中国での日本のアニメやマンガの話をしたりしつつ, 図書館で別れた。

 ところで, 本当は今学期の最初は, 3限に某授業に潜ろうと予定していたのだけど, 思うところがあってやめた。何となく, 学部生に混じって同じところにいると, いつまでもそこから抜け出せなくなるようなそんな漠然とした恐しさ, 恐怖を感じたからだ。自分は卒業したのだ。モラトリアムからは遠ざからなければならない。学部生とは一線を画していたい。それこそが, 今の俺の立ち位置に他ならないだろう? 問わず語る。

 というわけで水曜はぽっかりと時間が空いているのだ。ブラブラその辺をほっつき歩きつつ, きょうは学生会館にある東急オアシスのフィットネスの申し込みをした。その後ベローチェに寄って, スティグリッツの「入門経済学」の最後の部分を読んだ。某他大の先生と, 知り合いの学生とマッチングをしたいのだけど, そんな時間取れねえなあ…なんて思いつつ。俺は時間は取れるけど, みんなの予定を擦り合わせるのは本当に大変なのだ。サークルにいたときは, その文脈で何かを企画したり実行したりするのは本当に簡単だった。けれど実際, 自分の行動力の真価が問われるのは, そのようなあらかじめ用意された文脈がない状況で, どう人と結びつくか, 人を結びつけることができるかということに他ならない。

 帰りは駅前の芳林堂に寄った。「働きマン」や「GANTZ」の新刊が出てないかと思ったけど出てなかった。出てても買わないけど。漱石の某作品を買った。新潮版。まあ「星の王子さま」とかじゃないからどこ版を買っても別に大差はないんじゃないかと思って適当に買った。てか今さら漱石かよ、と自分で突っ込む。そういえば「私の個人主義」も本棚に入れたまま目を通してないのに。けど、少し読み始めるとあまりに面白くて没頭してしまった。一人称の文体はいい。俺が心に一番響くのは一人称の文体だ。むしろ、一人称の文体であるというだけで8割方OKだ。三人称でもいいけど三人称でもいわゆる神の視点ではなくて特定の人物の視点であってほしい。

 帰ろうと駅に向かうと, 日はようやく少し傾き始めたころだった。