ぼくは仕事ができない。

 東京に近い千葉県のあるテーマパークで、僕はアルバイトをしている。ちなみにこのタイトルは『ぼくは勉強ができない』のパクリである。
 なぜここで働きたいと思ったのか?と聞かれることがたまにある。そんなとき僕は、「名前に『東京』ってついてる場所で働きたいと思ったんですよ」と冗談のように答えることが多い。けれど、本当は違う。自分がもっとも苦手なことをすることによって自分を鍛えたいと思ったからだ。もちろん、いま働いている場所の、「人の夢を具現化する」というコンセプトに強烈な感動をおぼえたことが下地にはあるのだけど。

 もともと僕は接客が苦手で、人と話をするのが苦手で、初対面が苦手で、人との協働作業が苦手だった。だからこそ、このパークで働きたいと思った。そして偶然に決まったレストランという場所。でも初めは、さすがにムリだと思った。なぜなら自分にとってのハードルはより上がったからだ。同時並行のリアルタイムな思考と行動。自分がもっとも苦手とする要素がまた増えた。

 自分を鍛えたいという思いは、エゴイスティックなものだ。お店にもお客様にも迷惑をかけてしまうかもしれないと思い、実際に多くの迷惑をかけてきた。それでも僕は、成長しないと言われながらも、同じ仲間に支えられて励まされて、今まで続けてこれた。

 何とかみんなの恩に応えたい。こんな自分を支えて励ましてくれた人たちに、そしてこんな自分を使い続けてくれたお店に、貢献したい。そして、自分が辞めるまでのこの一年間、バトンを次につなげるためにがんばるのだと、そんな思いが自分の中にあった。

 けれど現実は、やはりミスが多発する。特にこの1ヵ月くらいは、仕事がガタガタな状態だった。なぜ僕は仕事ができないのか。みんなできていることが、なぜ自分にはできないのか。そんな思いを抱き、焦り、困惑する。そんな風に自分で自分を追い詰めると、顔から笑顔も消えてしまう。紛れもない悪循環。言い訳も通用しない。

 そんなとき、思い出してしまう言葉がある。去年夏、僕が大学のS先生の厚意で北京の授業に潜らせてもらったとき、S先生から言われた言葉。「小川くんは、もっと強くならないといけません。人を幸せにするには、強くないといけないのよ」。僕はその言葉を、いったいどれほど思い返したことだろう。強くならなければ、強くならなければ、と思いつつ、のしかかってくるのはそうなれない自分の現実の姿。

 しかし、そんなときは、やっぱり仲間が助けてくれるのだ。

 自分は、弱い人間だけれども、少しずつでも成長していきたい。ホスピタリティの心と間違いのないサービスの手順は、車の両輪のように両方とも必要なものだ。成長が遅いし急に強くはなれないけれど、小さな目標を定めて、少しずつ前に進んで行きたいと思ってる。

 自分は、誰かの幸せの役にたっていますか。