日常という名のキャンバス

もうすぐ学生時代の終わり。それはendではなく一つの端に過ぎないのかもしれない。時間が伸び縮みするものか俺はわからない。カイロス時間? 俺は知らない。

そして毎日、どこかで体験したような少しだけいいことと、いつかと似たような少しだけ嫌なことを繰り返しながら、総体的にはプラスマイナスゼロに近い、分散の小さな日常を重ねていくのだろう。しかし、それこそが幸せというものの本体であるということを直視できるようになるとき、人は大人になるのかもしれない。

それは終わりなき日常だ、と言う人もいる。けれど、そのフラットな日常はキャンバスでもある。白い平面。そこには何を描いてもいいのだ。そのことを知ると、少しだけ人は自由になれるのかもしれない。

世界は、日常によって構成されているのではない。その素地に描かれた全ての人の夢によって構成されている。生きるとは、どこまでも終わりなき夢を描きつづけることだ。